退院後の夏終わりから、家でヤドカリを飼っている。
息子と一緒に海で採取し、息子が「持ち帰りたい」と言ったからだ。
ヤドカリは海水じゃないと生きていけない。
1ヶ月に1回~2回は水槽の清掃をしながら、海水をつくっている。
ヤドカリには適正な塩分濃度が決まっており、
その濃度を調整しながらつくるのが面倒だが、
自分の家を掃除する感覚でもあり趣味のひとつにもなっている。
ヤドカリを飼う醍醐味は、やはり『宿替え』の観察だ。
かれらは自分の成長やその時の気分に合わせ、好みの貝に引っ越しをする。
‟宿を借り(仮)暮らし ≒ ヤドカリ“が名前の由来なんじゃないか?っていうくらい、頻繁に宿を変えるんだ。
気に入った貝を死守するために、共食いも発生してしまうほど日常生活は過激なんだ。
だから宿となる貝を余分に入れておかなければならないし、
宿となる貝をわざわざ探しに海に行ったりしている。
(ペットショップではヤドカリ用の貝を販売していたりする………。)
かれらを見ていて、『マイホーム』を買ってしまったことを考えさせられてしまう………。
家をその都度その都度、気分や用途に合わせ変えられるのがベストだったんじゃないか?
いや、かれらはあくまで水槽という家の中で、部屋を模様変えしているだけなんじゃないのか?
きっと僕は今住んでいる家がダサいから納得していないだけなんだ………。
それでもローンを払い続ける。
いつか脱却するために、現実を自覚するために、ダサさを身にまとって今日も寝るのだ。